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プロフィール

銀座 ルナピエーナオーナーママ
/ 作家 / 講師

日高利美
Toshimi Hidaka

1975年生まれ。品川女子学院中退。
18歳で夜の銀座の世界へ飛び込むも気が利かず、一軒目のクラブを一週間でクビになる。

その後、多くの一流ビジネスマンへの接客から銀座流のおもてなしを身につけ、26歳で銀座ルナピエーナをオープン。

リーマンショックや東日本大震災を乗り越え、競争の激しい夜の銀座の世界でクラブ経営17年。銀座ママ歴20年、夜の銀座歴25年。

一見のお客様が足を踏み入れることのできない銀座のクラブの経営や一流の男性へのおもてなし、女性の世界での上手な人づき合いから「コミュニケーションのプロフェッショナル」として著書を4冊出版。著書 累計40,000部。TVや雑誌などのメディアでも活躍。

アメリカ ロサンゼルスやシリコンバレー、シンガポールでの海外講演をはじめ、国内では金融業界、IT業界、サービス業界、飲食業界など様々な業界の管理職、社員、新人社員、また、経営者の団体や就活生、働く女性や恋活や婚活女性など、夜の銀座での経験から幅広い層、内容で講演やセミナー、研修の講師としても活動。

コンサルティングも行っている。

日本の文化の一つである大人の社交場としての夜の銀座のおもてなしの心や、日本人の相手を思いやる美しい心の伝承のために、夜の銀座の世界を飛び出し、日本だけにとどまらず、世界中に「恩送り」していくことを使命に活動している。

趣味

ボールルームダンス/篠笛/ペン字/古代文字アート/お土産選び/ゴルフの練習

好きな有名人

オードリー・ヘップバーン/グレース・ケリー/夏目雅子/樹木希林/櫻井よしこ

好きな言葉
人間万事塞翁が馬 / 人事を尽くして天命を待つ / 温故知新 / 唯心所現 / 有り難う

「知性と気配りを身につける銀座の教え」

「いつ、誰が相手でも必ず盛り上がる銀座の雑談手帳」

「銀座に集う一流の午後6時からの成功仕事術」

「また会いたいと思われる人になる 大人の教科書」

※2019年 5冊目の著書の出版決定

1975年

本籍はジブリ映画「もののけ姫」のモデルにもなった世界最古の自然が残る鹿児島県の屋久島。
なのですが、残念ながら一度も住んだことはありません。生まれた時は母が地元に帰省していたので鳥取県の米子市で生まれました。

夜泣きが激しかったらしく産後の母を気遣い、祖母代わりの母の叔母が私を抱いて夜な夜な近所を徘徊。

弟、妹が生まれ、両親は、父の実家の家業の着物屋を手伝い忙しく、かまってもらえない苛立ちから、母が趣味のお琴を弾いている時に弦をハサミで切ってまで振り向かせようとしたそう(笑)

「音が出なくなって顔を上げてみたら
ハサミ持って笑って立っていてビックリしたわぁ」by母談

幼い時から主張が激しかったようです(笑)

幼稚園時代

6歳まで大阪の高槻市で過ごしました。

母方の祖父と出掛けた際リュックを背負っていたのですが、
重いとか肩が痛いとか言っても持ってもらえないことに腹を立てていたらしく、
電車の扉が開いた瞬間にリュックを投げ捨て電車を飛び降り走り去ったそう。

「足は速いし人の間は上手にすり抜けていくしなかなか追いつけなくて大変だったんだぞぉ」by 祖父談

どんどん自己主張が激しくなっていきます(笑)

小学時代

小学校1年生の時に父の仕事の関係で東京へ。

同級生の母親が夜の世界で働いていて、彼女に憧れてすでに10歳の頃から夜の世界を目指すようになりました。

学校の高学年の時に担任の先生の秘書係に任命され、クラスのぶりっ子第2位に選ばれるなど、普通ならイジメられる要素がいっぱいですが私の気が強過ぎて誰も手出しできず。

家が自営業で幼いころから大人に囲まれていたことと親が共働きで家事一切を手伝っていたこともあり同年代の子たちが子供に見えていました。

議長団の議長を務めるも子供のやり取りに嫌気がさし会議の途中で退室し帰宅したり、、、

どんどん生意気に育っていきます(笑)

中学時代

中1の時、すでに高1になっていた同じ中学だった先輩が「生意気だと噂なのはお前か」とよく会いに来る。

そんな中、尊敬できる人にしか敬語は使わないと豪語。
学校の先生を含め周りに尊敬できる大人がいなくて大人になりたくないと思う日々を過ごす。

唯一好きだったのは保健の先生。

生意気で反抗的な性格だったが、共働きの母を手伝うため中学時代まで学校が終わると夕食の支度や掃除洗濯などの家事一切をする。

高校時代

入学式の日にぶつかってきたのに立ち去ろうとするオバサンに腹を立て説教。
そのオバサンがなんと私のクラスの担任で入学後毎日のように呼び出されました。

無欠席で早退もしたことがなくクラスで一番早く登校していたにも関わらず、入学式の事件の嫌がらせと髪が茶色いというだけで毎日休み時間の度に呼び出されうんざりして不登校に。
人を見た目で判断する大人にガッカリし益々反抗的になっていきました。

このころ新宿のディスコにハマリます。
グリースやGBラビット、ゼノン etc

その後、学校側から学校を辞めてくれと言われたり、教育者から発せられる言葉に傷つくを通り越して驚く。

周りの人からは辞めたら後悔するからやめるなと言われたが、「この人たちから学ぶことは何もない」と思い、「自分が後悔するような生き方はしない」
そう決めて高1の3月に中退をしました。

高校中退後

アルバイトを転々とするが、このままではいけない思い、夜の銀座で働く前に1年間は続けられるアルバイトをしようと、ファミリーレストランのロイヤルホスト 駒沢公園通り店で働き始めます。

3か月後には、パートのおばさん達に指示を出したり、店長からはお店のカギだけでなく金庫のカギを預けられ、銀行に両替に行ったりと17歳にしてお店を仕切るように。

早朝、ホールスタッフが私だけしかいない時間に、駒澤大学生が団体でやってきて満席になるも冷静に対応。すべてのオーダーを出し終わった時に拍手喝采を受けました。

銀座下積み時代
銀座1軒目 18歳

10歳の頃から夢だった銀座のママになるべく18歳の誕生日に夜の銀座の世界へ…。

求人誌で見つけた銀座の高級クラブで面接を受け採用されるも、
入店初日、ロッカールームで一歳上のホステスさんにわざとぶつかられ逆に噛みついたり(笑)

売上のお姉さんに客席で「この子使えないからいらない。席から外して」と言われ悔しい思いをします。

夜の世界の右も左もわからない状態の中、ベテランの銀座のお姉様たちに囲まれ、お客様と上手にお話しできない上に、気もきかないし服装などの身嗜みも銀座に相応しくなく、一週間でお店をクビになりました。

その時は理由を教えてもらうことなくクビになりショックを受け、自分にはこの仕事は向いていないのではないかと悩みましたが、夢をあきらめず働かせてもらえるお店を探すことに。

そんな中、1軒目で面接してくれた男性スタッフに「小さなお店の方が向くのでは?」とお店を紹介され面接に行きました。

銀座2軒目 18歳〜20歳

はじめて同伴に誘ってくれたお客様に「彼氏がいるので行けません」と断り笑われたり、
酔って営業中に客席で寝たり、空気を読まず自分が歌いたい流行りの歌を歌ったりする私。

ですが、雇われママとその旦那様が娘のように可愛がってくださり、
このお店で水商売のことだけでなく人との繋がりの大切さを学びました。

そのうちお客様に合わせて自分が歌う歌を選ぶようになり
春日八郎さんの「お富さん」や「加藤隼戦闘隊」などの軍歌も歌えるように。

2年間お世話になりましたが、お店側のあれやこれやで色々あり辞めることに。

辞める際は1カ月以上前には言うのが暗黙のルールなので、その旨伝え承諾を得るも、
お店のオーナー社長から嫌がらせを受けるようになります。

「銀座に居られなくしてやる」とまで言われましたが、直ぐにでも辞めたい気持ちを抑え、
筋を通して最終日まで出勤し退店。

そのとき、今までちゃんとお客様と向き合ってきたし、
私のことを信じてくれるお客様とだけ繋がっていけたらいいと強く思いました。

余談ですが、この頃、小学校の高学年の時の担任の先生から電話がかかってきて、
「いまなんの仕事をしているんだ」と聞かれ「銀座で働いています」と答えたら、
「やっぱり!!」と納得され、一体どんな小学生だったんだろうと考えさせられました(笑)

銀座3軒目 20歳〜22歳

売上のホステスとして働き始め、はじめは自信がなかったものの、
次第にお客様を呼べるようになって、そのお店で最年少ながらNO.1になり天狗に。

陰でお姉さんたちに嫌われ「あの子の席に座りたくない」と言われていたようなのですが、
当時のオーナーが「イヤだったら、自分のお客様を呼べ」とお姉さんたちを諭し、
逆に私にはひとりじゃ仕事は出来ないことを説いてくださっていました。

自分ひとりで仕事をしている気になってしまっていましたが、皆の支えがあるからこそ仕事ができることを
少しずつ理解していき、その後はお姉さんたちとも良い関係に。

2年間お世話になりましたが、銀座でステップアップするため退店。

銀座4軒目 22歳

同年代の子たちが社会人になりはじめ、もし私が銀座で知り合ったお客様たちの会社に勤めることがあったとしても、一生話すことが出来なかったかもしれない存在の人たちと話し、可愛がって頂けていることに気づいたのがこの頃です。

4軒目のお店は、入店して7カ月でお店がクローズ。閉店する3日前に告げられて驚きました。

年末だったこととそのままお正月休みで初ハワイに行くことになっていたこともあり、就職活動もできないまま複雑な気持ちで日本を後に。

暗い気持ちのままハワイでお正月を過ごしたのを覚えています。

銀座5軒目 23歳

程なくして、お店を決め働き始めます。

ところが、メインで可愛がって下さっていた会社のお客様が新しいお店にどなたもみえず不思議に思い会社に電話したところ、
そのビルに怖いお兄さんたちがよく来るお店が入っていて、会社から入館しないよう御触れの出ているビルだと言うことが判明。

2週間で退店することになりました。

銀座6軒目 23歳〜26歳

自分のお店を出すことも考えていましたが、まだ経験が足りないと感じ、
雇われママとして働くことにしました。

程よい大きさのお店で女の子の質もよく何の不満もなく過ごしていましたが、
マネージャーとして入ってきた私より年上の女性がビックリするほど気が利かない。

お客様に対しても失礼な態度をとり怒らせることもあり、残念な思いが高じて辞めることに。

この時、他店から雇われママの話も頂いていましたが、自分でお店を出し失敗して借金を負ったとしても、
この歳ならまだ雇われママの話を頂けるだろうしチャレンジしてみようと、
ついに自分のお店を出すことを決意し2年半勤めたお店を退店しました。

GINZA Luna Piena 開業
Luna Piena 26歳〜

お店の場所をオープンに向けて決め動き始めた頃、予算が1,000万円足りなくなることが判明。

国の機関で借りる段取りを進めましたが保証人を立てなくてはいけなくなります。2軒目でお世話になって可愛がってくれたママに旦那さんに保証人をお願いしてもいいか聞くと「自分で言いなさい」と言われ、直接お願いしようと自宅に伺ったところ、ママが既に話をしてくださっていて「お前の頼みじゃしょうがない」と保証人を引き受けてもらえることになりました。

もしお店が失敗してもどんなことしてでも返済すると心に誓いました。

そして、2001年10月22日 銀座8丁目にルナピエーナをオープン。

30代前半

10歳からの夢だった銀座のママになり夢を叶えたことで抜け殻になっていた時期。

新たな夢をみつけるために、気持ちの赴くまま知りたい、学びたい、と思うことを手あたり次第勉強し始めました。

同時期に、大切なお客様をお迎えするために、お店の女の子たちに女性としてのおもてなし・マナー・身だしなみを知ってほしいと思い始め、
それなら自分が学んで教えればいいと考え、どうせなら世界に通用するものを総合的に学びたいと、ハリウッド女優からモナコ公国の后妃 グレース・ケリーも花嫁修業の一環として通ったフィニッシングスクール「ジョン・ロバート・パワーズスクール」の日本校に入校しました。

スクールの最終講義の一環としてIMTA※1(インターナショナ・モデリング・アンド・タレント・アソシエーション)、年に2回NYで行われる海外モデル・俳優の世界最大級の海外オーディションに参加。モデル部門のメイクで3位、ウォーキングで入賞。

10代の時に尊敬できる教えを乞える大人がいないことで苦しんできた分、自分が学びたいと思える人から学ぶことが出来る機会が得られ充実した日々を送りました。

※1:IMTAは、1987年にスタート.
ジェシカ・ホワイト/ケイト・モス/イライジャ・ウッド/ケイティー・ホームズなどを輩出している

Selene 33歳〜39歳

リーマンショックを機に新店舗をオープンさせることを決め、2009年3月26日 銀座7丁目にガールズバー「セレネ」をオープンしました。

その後、シャンパンバーにコンセプトを変更。

お店の売上げは悪くはなかったものの後継者が最終的に育たず、残念ながら6年間の営業を経て、惜しまれながら2015年2月末にクローズ。

たくさんの学びと人の温かさを感じる経験となりました。

東日本大震災 35歳

2011年3月11日 東日本大震災。

震災後一週間のお店休業後、銀座の夜に小さいながらも灯りをともすべくお店を再開。

その年の新年の抱負は、
「夜の銀座から日本を元気にする。私から笑顔の連鎖をおこす」の
「私から」を「私たちから」に変更し、会社の経営理念として掲げました。

『夜の銀座から日本を元気にする。私たちから笑顔の連鎖をおこす。』

30代後半

「知性と気配りを身につける銀座の教え」
「いつ、誰が相手でも必ず盛り上がる銀座の雑談手帳」
「銀座に集う一流の午後6時からの成功仕事術」
を出版し、海外で講演をさせて頂いたり、国内では企業や就職活動中の学生に対する講演や研修、女子力アップセミナーまで男女問わず幅広い世代へ向けたセミナーの講師としてお話しさせて頂ける機会を頂くようになりました。

銀座村を飛び出して色んな方々と出会える機会を頂けていることに感謝の日々。

ルナピエーナをオープンした当初は
「私が働いていて楽しくなくなったらこの仕事はいつでも辞める。
その時にはお店も閉める。」
と言っていた私でしたが、こうして長い年月、可愛がって下さるお客様や一緒に働いてくれるスタッフの有り難さを深く感じるようになり、既にお店は私のものではなくお越し下さるお客様や一緒に働いてくれているスタッフのものだと自覚。

より良くお店を継続させることが私の仕事だと感じるようになり、そのためにもスタッフの教育と自分自身の成長が大切だと思うようになりました。

41歳

「また会いたいと思われる人になる 大人の教科書」を出版。

2016年 銀座ルナピエーナは15周年を迎え、これも偏にルナピエーナを可愛がって下さるお客様、一緒に働いてくれているスタッフ、過去に一緒に働いてくれていたスタッフ、同業者の皆さま、業者の皆さまのお陰だと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

20周年、30周年と迎えられるお店になりたいと強く思うように。

現在 43歳

現在は、銀座ルナピエーナのオーナーママとして経営、スタッフ教育に重きを置き、
お店には週に2〜3日出勤。講演や研修活動も意欲的に取り組みんでいる。

2019年、5冊目の出版が決定。8月か10月に出版予定、ただいま執筆中。

また、日本古来から受け継ぐ「美しい心」や「礼節」の伝承を目的とした
【 やまとなでしこ協会 】設立に向けて現在準備を進めています。